しらすのブログ

しらすのひとりごと

子どもと遊ぶのって楽しいの?(1)

おはようございます。

 

誰に頼まれるわけでもなく粛々と3回目の更新です。

前2回で「奉仕精神とかじゃなくて、障害児支援がめちゃくちゃ楽しかったからやっている」という話をしてましたが、

実際にどんな関わり方をしているのかを、あくまでもわたしの超個人的な意見としてお話したいと思います。

(やってらっしゃる方それぞれ違うと思うので、あくまでも私の超個人的な意見です)

持論を展開しまくるので、嫌な方はこちらでも見てハート丸くしてください…

https://m.youtube.com/watch?v=kSfQ0hGXCxM

 

・子どもと関わるのが苦手な人たちへ

・嫌な言葉を使う子どもへの対応(オマケ)

の2点についてダラダラ話してあります。

 

 

まず、活動中の私について書きますが、

子どもと関わるのがちょっと苦手な方たちが想像する保育の時の感じって

 

子ども「ブ〜〜ス!!!」

大人「こらこら〜そんな悪い言葉言わないよ〜☺️」(なんで毎回そんなこと言ってんだ???コラ??)

 

みたいな感じで「対子ども用」として節度を持って穏やかな「大人」として接することが前提になってるかと思います。

 

確かに、大人が大人として大きな力を持っている以上、大人が個人の感情で、理不尽に子供を傷つけないために、(特にお金をもらって仕事としてやっているのであれば)

ある種の大人と子どもの線引きは絶対に必要不可欠だと思います。

 

ただ、毎回それでは、大人側が息が詰まると思います。

 

私が子どもと接していて思うのは、「子どもは思っている以上に、大人という存在に期待していないし、むしろ自分たちに近い方が信頼してくれる」ということです。

子どもと遊ぶのを自分が楽しむために、私はいつも素でいることを心がけています。

 

子ども「ブ〜〜〜〜ス!!!」

私「え?何?美人??美人イェーイ!!」

子ども「ちげーよブス!!ブタ!!」

私「そっか、結婚したいのかぁ、照れるッ」

 

これ全部素でやってます。

そしてこれやると高確率でキレられます。

(どんだけキレんだよ!!!とこっちが泣きたくなるくらいにはキレられます。)

 

別に構って欲しいだけならこれで済ませますが、嫌なことを言うことが常習化している場合は

「自分が望まない言葉を言われて、嫌な思いしてやめてほしいって思ったならおまえも人に豚とか言うな」という話に持っていきます。

 

でも基本、「嫌な言葉は流す」のがいいのかな、と思います。

これは、適当に扱っているわけではなくて、

子どもが何かアクションを起こす時には、

その先になんらかの「刺激」を求めることが多いのではないかと考えているからです。

褒められる、応えてくれる、愛情をもらえる、「怒られる」のもその刺激の1つです。

 

嫌な言葉に関しては、のれんに腕押し状態にする一方で、その子の求める刺激は別の機会に「愛情」という形でたっぷり返してあげることでバランスが取れていくんじゃないかな、とも思います。

 

話がズレましたね。

「素でいることに関して」話を戻します。

 

大人だって嫌なことをされたら嫌だ。

でも、

立場上確実に上な大人が叱りつけた時点で、

子供達は反撃が不可能になる

=子供達を理不尽に傷つける可能性もある

それを意識しつつ、子どもに主体的に気づいてもらえるようにできればいいのかな、と思います。

(子どもの反撃云々の前に倫理的に逸脱した行動の時は、しっかり大人としての責任を持って話をする必要がある時もあります)

 

子どもに主体的になってもらうためには、子どもを子どもと見ずに、人間として扱うことが必要であり、それにはまず、自分が素で付き合うことが必要なのかな、と思います。

 

大前提として、理想的な大人は存在しません。

(そもそも同じ人間はいない)

ただ、世の中にはいろんな大人がいるんだな、と子供達の世界を広げられたらいいな、と思って私は子どもと関わっています。

だからこそ、なるべく素の自分で関わることに意味があると思うし、自分も楽しめると私は考えています。

 

まぁ、みんなに子ども好きになってほしいとは思わないけれど、少しでも楽〜〜に子どもと向き合ってもらえれば、と言う感じです。。